「デザインで世界をときめかせたい」想いを持ち続けたマーケターがブランディングデザイナーに転身するまで

「デザインで世界をときめかせたい」想いを持ち続けたマーケターがブランディングデザイナーに転身するまで

フリーランスのストーリー

「好きなことを仕事にしたい!」
誰しもが一度は考えるけれど、なかなか思い通りにはいかないもの。

ブランディングデザイナーのSHIHOさんも、学生時代から大好きなデザインを仕事にしたいと思っていたひとり。いまでこそデザインの仕事をたくさん手がけている彼女ですが、当時は何から始めればいいのかまったくわからなかったそうです。

そんなSHIHOさんがどのようにしてデザインを仕事にしていったのか、そのストーリーを見てみましょう!

ブランディングデザイナー

SHIHO

SHIHOさん

1993年生まれ、大阪府出身のデザイナー兼イラストレーター。大学卒業後は、某人材系IT企業でマーケターとして勤めるかたわら、デザイナーとして個人でロゴデザインやイラストなどを手がけ、2021年に独立。「誰かの心をときめかせる」をビジョンとして、主に東京を拠点としてイラストやロゴ制作を手掛ける。仕事の傍ら、デザインのインスピレーションを受けるため美しいもの、自然に触れるため海外旅行にも出かける。映画『マイインターン』が好き。

自己紹介をお願いします!

フリーランスでデザイナーやイラストレイターとして仕事をしている、ブランディングデザイナーのSHIHOです。

現在のお仕事を具体的に教えて!

ターゲットを定めて、彼らが本当に欲しいものや、思わずときめくものを作る仕事です。普段はデザインやイラストを手段として、ブランドの世界観を作るお仕事をしています。

具体的には、ロゴ制作、フォントや色のトーン&マナーの設定からSNSのブランディング、SNSに掲載する写真の撮影ディレクションまで、ブランドや商品の顔となる部分の制作を担当する機会が多いです。また、企業向けにイラストを制作することもあります。

大切にしているのは、「届くべき人に届けること」。
ターゲットを定めて、彼らの心をときめかせることを目標に日々取り組んでいます。

では、SHIHOさんの今に至るストーリーをたどってみましょう!

このインタビューは
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フリーランスになる前

フリーランス_ブランディングデザイナー2

Q1. フリーランスになる前は
どんな仕事をしていたの?

新卒で某人材系IT企業の営業職に2年間従事していました。でも、営業として企業の目標達成のために、言葉巧みに物を売らなければならない場面を経験し、苦しさを感じていたんです…。

そのころ、人生において何をやりたいかを思い描いたときに、学生時代から興味があったイラストやデザインなど、クリエイティブな仕事に惹かれていることを再認識。

そんな仕事に近づくために次にどうすべきかと考えた結果、社内ではマーケティングを担う部署へ異動し、社外では独学でブランディングやデザインを学びました。

社外には美大出身の優秀なデザイナーがたくさんいることを知っていたので、ビジネスに必ず必要なマーケティングの知識とデザインをかけあわせることで、彼らと差別化しつつ将来のお客様の役に立てるかもしれないと考えたんです。

Q2. どうしてフリーランスという
生き方に興味を持ったの?

大きく2つのきっかけがあります。

1つめは家庭環境です。母は小学校教師で仕事を楽しんでいましたが、私が生まれたことをきっかけに「子供が寂しくないように」と専業主婦になることを選びました。

当時、母は仕事を辞めて私を育ててくれましたが、ずっと家にいる母を見て育った私は、「どうにか好きな仕事と子育てを両方楽しみながら、経済的に自立することはできないか?」と考えるようになりました。

2つめは、大学生の多感な時期に『プラダを着た悪魔』や『マイ・インターン』といった海外の世界観を持つ映画から刺激を受けたことです。カラフルな衣装や日本にはあまりない洗練されたインテリアなど、ビジュアル面はもちろんのこと、主人公の女性が理想に向かってまい進していく姿がかっこいいと思いました。

この2つのきっかけから、自分が好きなクリエイティブな仕事で経済的にも精神的にも自立したいと思うようになりました。

大学生のときからいずれはフリーランスになるのかな、と意識はしていましたが、当時はそこに至るまでの道筋がわからなくて。まずは社会人としての基礎スキルを身につける意味も込めて営業職を選びました。

フリーランスになっていく過程

フリーランス_ブランディングデザイナー3

Q3. デザイナーやイラストの
仕事を始めたきっかけは?

大きなきっかけは、大学時代にスペインに卒業旅行をし出会ったピカソの壁画でした。学生のときから絵を描くことが好きで、趣味でたくさん描いていましたが、当時の自分からすると、ピカソの絵は一見自分でも描けそうなデザインで、なんだか悔しい気持ちになってしまったんですよね(笑)。

でもピカソは何十年の歴史の中でずっと絵を描き続けていたからこそ、その価値が世界に見つけられて、本人が亡くなった今もなお、作品が世界中で愛されていると思うんです。私もそういうものを作り続けて、誰かの心に良い影響を与えて、結果として世界の幸福度が上がることに少しでも貢献できたら、と思うようになりました。

旅先で初めて見る景色や建築にときめく感覚がとても好きで、自分の作品を通して「誰かの心をときめかせたい」といつも思っていて。それは今でも自分のビジョンになっています。

会社員時代にデザインやイラストを独学で学び、時々副業でお仕事を受けながら、徐々にデザインの仕事を増やしていきました。

Q4. デザイナーになるために
どんな努力をしたの?

絵を描くことが好きで、20代の間は会社の仕事以外の時間には趣味、仕事を問わずとにかく描き続けていました。楽しく続けられていたので、努力をしている感覚はほとんどなかったです。

とはいえ、会社の仕事が終わってから夜中まで作業することもありましたし、週末は仕事や勉強で忙しく、遊びの誘いを断らないといけないときは心苦しかったです(笑)。

あとは、自分ができることの発信を意識して行なっていましたね。最初は会社の同期や友だちの目が気になりましたが、勇気を持ってイラストやデザインのアウトプットをしていきました。

最近では昔からSNSを見てくれていた方がクライアントになる機会も多く、嬉しい限りです。

Q5. 退職の決め手はなんだったの?

会社は風通しの良い環境ではあったのですが、自分がやりたいクリエイティブな仕事にそれ以上携われないことを知ってしまったからです。社内でWebデザインをする道もありましたが、ある程度“お作法”が決められていてオリジナリティは求められず、自分が本当にやりたいこととの乖離があったんです。

そんなとき、その状況をお世話になっているフリーランスの先輩に打ち明けてみたんです。そこでSNSの運用案件など自分の能力が活かせそうな案件をいくつか紹介いただき、独立するか迷っていた私の背中を押してもらいました。

同時期に都内のお店のロゴや、SNSのアートディレクションを任せてくれる方ともご縁があり、自分のタイミングを信じて独立することにしました。

Q6. 退職のタイミングで
不安はなかったの?

「仕事がいつなくなるかわからない」という不安は常にあり、それを払拭するために最初はとにかく量をこなしました。いつも両手いっぱいに仕事を抱えているような感覚でしたね。

それでも不安な気持ちが完全になくなることはありませんでした。というのも、デザインやイラストなどといった職業は単発でのお仕事が多いためです。

当時は、SNS運用やブランディングのサポートなど、1ヶ月ごとに契約が更新されるような長期の仕事で収入を安定させることを意識していました。

フリーランスになってみて

フリーランス_ブランディングデザイナー4

Q7. はじめは仕事をどうやって
獲得していたの?

会社員時代から、自分の信念ややりたい仕事をどんどん人に話すようにしていました。

そうすると「知り合いがロゴのデザイナーを探していて」「絵を描ける人を探していて」と、周りの人を経由してお仕事が入ってくるようになりました。最初の仕事は知り合いからもらったロゴ制作のお仕事でした。

Q8. そこからどうやって
仕事が増えていったの?

1つお仕事をすると、ありがたいことにそのアウトプットを誰かが見てくれていて、世界観にマッチしたときに声をかけていただけることが多いですね。知人経由のお声がけはありがたい限りです。

他には、自分が今まで作ったものをポートフォリオにまとめたり、自分の名刺のデザインをこだわったりすることで、自分の得意な世界観が直感的に相手に伝わるようにしています。

これまで手がけたロゴやその背景、個展の時のイラストや趣味で描いたものをまとめたポートフォリオサイトを作り、いつでも人に共有できるように心がけていました。

Instagram運用のお仕事を始めてからは、一眼レフを買って撮影してみるなど、常に勉強を続けています。

Q9. 仕事が増えてからは
どうだった?

とにかくいただける仕事は受けようと思って全力で取り組んだ結果、すべてに全力を注ぎすぎて、自分を追い詰めてしまう時期がありました…。

それまでは自分ができることはなんでもやろうと思っていたのですが、「できること=好き」ではないことに気づいたんですよね。好きではないけどできるからやっている仕事の割合が増えれば増えるほど、心がつらくなっていきました。

その経験をしてからは、時折自分の心に聴診器を当てるような感覚で、徐々に「できることの中で、好きな仕事ってなんだろう」と自問自答するようにしましたね。

それでも心身が悲鳴をあげていると感じたときは、鍼(はり)を受けたり、自然に囲まれた場所でただぼーっとする時間を設けたりすることで、自分の心と身体をメンテナンスするようにしています。

今とこれから

フリーランス_ブランディングデザイナー5

Q10. フリーランスになってみて
よかったことは?

1番よかったのは、時間の使い方を自分で決められるようになったことです。

この前は1人で沖縄に行きました。成り行きでルートを決め、偶然いい景色や素敵な人に出会えたり、そこから仕事にまで繋がったりと今までにない経験ができました。

会社員時代は時間に囚われ、今ほど自分の直感にしたがった行動はできていませんでした。デザインのインスピレーションにもつながり良い経験だったと思います。

Q11. フリーランスになってから
大変だったこと、大変なことは?

会社員時代は毎月決まったお給料をもらっていましたが、フリーランスになってからは自分の仕事がダイレクトにお給料に反映されるので、大変だと感じることはあります。

「楽しみながらもいかにちゃんと働くか」を意識し、常に色々な課題を乗り越えている感覚です。フリーランスは楽に見えることも多いかもしれませんが、もちろん大変なこともたくさんあるので、自分を律してしっかりと取り組もうと心に決めています。

Q12. 今後何をしていきたい?
どうなっていきたい?

海外でデザインを学んでみたいです。この広い世界の中でたまたま日本で生まれ、日本でデザインの仕事に携わっていますが、海外には日本とは違うデザインがたくさんありますよね。

特に自分が好きなブランドにはニューヨーク発のものが多く、「ニューヨークの街には一体どんなデザインがあるんだろう」と疑問を持つようになりました。

オンラインで受講できる海外の美大のブランディングの授業を受けたときは、とても刺激を受け、好奇心がより膨らみました。

誰かがときめくものを自分の手で作ることが私のゴール。だから、1つでも多くのデザインやイラストを手がけ、人により大きい影響を与えたい。その結果として世界の幸福度が上がるといいなと思っています。

目指す人へのメッセージ

メッセージの画像

お世話になっている方からの言葉で心に残っているのが「悩みの出口は本にある」という言葉です。

悩みを抱えているときに、自分1人で悩んでしまうとどうしても“自分の辞書”にある言葉のなかでぐるぐるしてしまうんです。そんなとき、本を読んだり人に相談したりすることで見えてくるものが必ずあって。

新卒のとき、何者かになりたい気持ちが大きいけれど何から始めればよいかわからず、途方に暮れていました。とにかく手がかりが欲しく、憧れのCMを作っている人にアポイントメントを取り、直接会いに行きました。最後にロゴのスケッチがたくさん描いてある本をいただいたのですが、なんといま自分が実際にロゴをスケッチしているなんてそのときはまったく思いもしませんでした。

当時の体験が今の自分に繋がっているので、勇気を出して1歩踏み出してみてよかったなと心から思います。旅をしたり、未知のものに触れたりするのも良いきっかけになるし、人生を好転させてくれるものだと思っています。

もやもやしているときは考えが止まってしまっている状態です。そんなときは、仕事に関係ないことだとしてもまずは行動してみることをオススメします!

いかがだったでしょうか?

以上、SHIHOさんの生き方・働き方のストーリーでした!
あなたの人生が一歩でも前に進むような、お役に立てる記事になりますように。

ちょっと木陰で立ち話

ゆみ
本記事ライター
ゆみ

「好きなことを仕事にしたい!」と思っても、それを実現するまで想い続けることはなかなか難しいもの。

Q. 今後何をしていきたい?どうなっていきたい?」で語られている「デザインで世界の幸福度を上げたい」という言葉から、SHIHOさんの真っ直ぐな意思を強く感じました。好きなことを言葉にし続け、それをこつこつ発信していくことは平坦な道ではなかったはず。

これを読んだ方々が、自分の好きなことについてもう一度見つめ直すよい機会になれば嬉しいです!

ちなみに、きみはどう思う?なにか気づいたことあった?

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    ゆみ
    本記事ライター
    ゆみ
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    pigeon